ブログ -診察室より-

「朝の光の中で」 その6(最終)2018.12.12

ホテルの人はガラスのコップをきらめかせる、その美的な効果を計算して、その場においたのでは、おそらくないでせう。

わたくしが美しいと見たことなども、知ったことではないでせう。

そしてまた、私自身もその美しさをおぼえ過ぎて、今朝はどうかなどといふ心の習はしにとらわれて、朝のガラスのコップとながめますと、もういけません。

もっとも、詳しくはなります。

底を上にして伏せた、その円い底のひとところに、きらめく星をつけてゐると、わたくしは言ひましたが、そののち度重ねてながめてみますと、見る時間によって、見る角度によって、光りの星は一つではなく、幾つもあることがありました。

コップの胴にも光りの星がついてゐることもありました。

それでは、底の縁に星一つとしましたのは、わたくしの見まちがひ、思ひちがひであったのでせうか。

いや、一つの時もあったのです。

幾つもの星のきらめく方が一つの星だけよりも美しさうでもありますが、わたくしには、はじめに一つの星と見て美しかった方が美しいのです。あるひは、文学にも人生にもこのやうなことはありませう。

「朝の光の中で」 その52018.12.09

しかしながら、わたくしはテラス食堂で朝の光りによる、ガラスのコップの美しさを見つけたのです。

確かに見たのです。

この美しさに、はじめて出合ったのです。

これまでにどこでも見たことがないと思ったのです。

このやうな解逅こそが、文学ではないのでせうか、また人生ではないのでせうか、と言えば、飛躍に過ぎ誇張に過ぎませうか。

さうかもしれませんが、さうでもないでせう。

今まで七十年の人生で、ガラスのコップのこのやうな光りを、ここではじめて、わたくしは発見し、感得したのです。

「朝の光の中で」 その42018.11.30

朝の日の光にガラスのコップが美しく映えるのは、ハワイの海辺に限ったことではないでせうと思はれます。

南フランスの海辺でも、南イタリィの海辺でも、あるひは日本の南方の海辺でも、カハラ・ヒルトン・ホテルのテラス食堂でのやうに、コップのガラスの肌に、明るく豊かな日の光りがうつるのかもしれません。

またホノルルの日のかがやき、空の光り、海の色、木々のみどりを、ガラスのコップのやうなつまらないもの、なんでもないものに、鮮明な象徴を見つけなくても、ハワイの美しさを象徴するいちじるしいもの、よそにたぐひのないものは、もちろん、幾らもありますでせう。

色のあざやかな花々、姿よく茂る木々、それから例へば、わたくしはまだ見る幸ひに恵まれてゐないものですが、沖のひとところだけに降る雨に真直ぐに立つ虹、月の暈(かさ)のやうに月を巻く円い虹など、めづらしい景物もありませう。

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